第1弾:「いただきます」
「いただきます」――命を、受け取る言葉――
最近、気づいたことがある。
食事の前に、 「いただきます」 と言えていない日が、続いていた。
一人でご飯を食べる。 スマホを見ながら、テレビをつけながら。 気づいたら食べ終わっている。
そんな食事が、当たり前になっていた。
「いただきます」って、 いったい何の言葉だろう。
改めて考えてみた。
「頂く(いただく)」。 頭の上に、のせる。 つまり、 最上級の敬意を表す言葉だ。
食卓に並ぶ野菜には、 根っこがあった。 土があった。 水があった。 太陽があった。
魚には、 海があった。 命があった。
肉には、 生き物がいた。 その命が、 今、ここにある。
「いただきます」は、 命をもらいます、という言葉だ。
自分が生きるために、 他の命をいただく。
その事実を、 ちゃんと受け止める。
たった一言の中に、 そういう深さがある。
農家の人がいる。 漁師の人がいる。 料理を作った人がいる。 運んでくれた人がいる。
「いただきます」は、 その全員への ありがとうでもある。
世界を見渡すと、 食前の作法はさまざまだ。
キリスト教の文化圏では、 神に祈りを捧げてから食べる。
「この食事を与えてくれた神様に感謝を」
イスラム教でも、 「ビスミッラー(神の名において)」と唱える。
何かに向かって、頭を垂れる。 それは、 文化が違っても、 人間が食べることに感謝してきたという証だ。
一方で、 「黙って座って黙って食べて黙って立つ」 そういう文化もある、と聞いた。
良い悪いじゃない。
ただ、日本の「いただきます」には、 命への敬意と、 関わった人への感謝と、 自然への畏敬が、 たった一言に込められている。
それは、 世界でも稀な、美しい文化だと思う。
一人でご飯を食べるとき。 コンビニのおにぎりを食べるとき。 忙しい合間にかき込むとき。
そんなときでも、 一度だけ、 手を合わせて言ってみてほしい。
「いただきます」
その言葉が、 食事の意味を変える。
食べることは、 生きること。
命をいただいて、 自分の命をつなぐ。
明日から、 また言おうと思う。
ちゃんと、手を合わせて。
「いただきます」
次回は「ごちそうさまでした」――走り回った人たちへの感謝――をお届けします。