第2弾:「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」――走り回ってくれた、すべての人へ――
前回、「いただきます」について書いた。
今回は、食事の終わりの言葉。
「ごちそうさまでした」
この言葉にも、 すごいものが詰まっていた。
「御馳走(ごちそう)」。
この漢字をよく見てほしい。
馳走(ちそう)。
「馳」は、馬が走ること。 「走」は、そのまま走ること。
つまり、 馬を走らせて、駆け回ること。
昔、客人をもてなすとき、 食材を求めて、馬で走り回った。
あちこちを駆け回り、 材料を集め、 料理をして、 テーブルに並べた。
その奔走してくれた人への敬意が、 「御馳走様」という言葉になった。
現代に置き換えると、 誰が走り回ってくれているか。
早朝から畑に出た農家の人。 荒波の中で網を引いた漁師。 冷蔵トラックで夜通し走った運転手。 スーパーで品出しをした店員さん。 台所で汗をかいて作ってくれた人。
みんな、走り回ってくれている。
「ごちそうさまでした」は、 その全員に向けた、深いお辞儀だ。
海外ではどうだろう。
ヨーロッパの多くの国では、 食後にこれといった決まり文句はない。
「Merci(ありがとう)」とか 「It was delicious(美味しかった)」と 作ってくれた人に個別に伝えることはある。
でも、食事の終わりに その場にいる全員が一斉に言葉を発する習慣は、 あまり一般的ではないらしい。
食べ終わったら自然に席を立つ、 という文化の方が多い。
それを聞いたとき、 「ごちそうさまでした」という習慣が、 いかに豊かなものか、と思った。
見えない人にも、感謝する。 作ってくれた人にも、感謝する。 命にも、感謝する。
そして、 食事という時間を、ちゃんと閉じる。
一人で食べていると、 つい、 食べ終わったらそのまま立つ。
皿をシンクに持っていって、終わり。
「ごちそうさまでした」 なんて、 誰もいないのに言う必要があるか、と。
でも、そうじゃないと気づいた。
誰もいなくても、 言う意味がある。
その言葉は、 見えない誰かへ届く言葉だから。
走り回ってくれた農家の人へ。 海に出た漁師へ。 料理を作った人へ。
目の前にいなくても、 その人たちは確かにいた。
「ごちそうさまでした」と言うとき、 自分はその事実を、ちゃんと思い出す。
25年、子どもたちと向き合ってきた。
食事の挨拶ができる子は、 不思議と、 他のことへの感謝もできる子が多い。
「ありがとう」が言える子。 負けても相手を称えられる子。 自分を支えてくれている人に気づける子。
「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、 食事の挨拶ではなく、 感謝する力を育てる練習なのかもしれない。
今日の夕食。 一人でも、手を合わせて言ってみてほしい。
「ごちそうさまでした」
走り回ってくれた、 すべての人へ。
次回、最終章「いただきます・ごちそうさまでした――この言葉を子どもたちへ――」をお届けします。