こんにちは、倉敷市北畝の歩実塾です。
戦国時代には、数多くの武将が登場します。
その中でも、武田信玄・上杉謙信・毛利元就は、特に個性の際立った三人です。
信玄は領国を治める仕組みを整え、
謙信は「義」を重んじる武将として知られ、
元就は知略を駆使して小さな勢力から大きな領国を築きました。
しかし、有名な逸話の中には、後世に脚色されたものもあります。
今回は、三人の意外なエピソードを紹介しながら、史実と伝説の違いも考えてみましょう。
武田信玄(たけだ しんげん):川中島と、有名な一騎打ち
信玄は1521年に生まれ、1541年に父の信虎を追放して家督を継ぎました。
1547年には、家臣と領国を治めるための法「甲州法度之次第」を制定しています。
川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)
信玄と上杉謙信の戦いは、
狭い意味では1561年の合戦、広い意味では前後5回の抗争をさします。
有名な「信玄と謙信の一騎打ち」は、「あったといわれる」という伝承として扱われています。
家康に勝った三方ヶ原(みかたはら)
1572年12月、徳川家康を三方ヶ原で破りました。
ただし、浜松城は攻略しなかったとされます。
そして、1573年4月12日、まもなく亡くなりました。
上杉謙信(うえすぎ けんしん):「義」の武将と、塩の話
謙信は1530年に生まれました。
1561年、鶴岡八幡宮で上杉憲政から関東管領職と上杉の名跡を受け継いだとされます。
川中島の勝者は?
武田信玄との対陣は、12年間も繰り返されました。
1561年9月の八幡原での激突が有名ですが、「勝者が誰か」は単純には言い切れません。
戦後の処理の内容から、信玄側に有利だった可能性が指摘されています。
敵に塩を送る
信玄が塩を断たれて困っていたとき、
謙信が「信義にもとる」として塩を送ったと「伝わる」話があります。
この逸話は、清廉で道義に厚いといわれる謙信の人物像を象徴するものとして語られてきました。
卑怯な追い込みはしない、という一線を引いていた、という評価もあります。
突然の最期
1578年3月13日、関東への出陣を目前にして、春日山城で脳溢血により急死しました。
49歳でした。
毛利元就(もうり もとなり):小さな領主から、中国地方の覇者へ
元就は1497年に生まれ、1571年に吉田郡山城で75歳で亡くなりました。
吉田郡山城(よしだこおりやまじょうのたたかい)の戦い(1540年)
安芸国吉田で毛利元就と尼子晴久(あまごはるひさ)が争った合戦です。
実際は城外での戦闘が主でいわゆる籠城戦ではなかったため、郡山合戦とも呼ばれます。
尼子勢が約3万の兵で攻めてきましたが、大内家方の援軍とともに撃退しました。
毛利が大内方として最後まで尼子軍の攻撃を耐えた事実は、
大内氏勢力の安芸・備後進出に大きな役割を果たすことになり、
それと共に毛利の勢力も両国に広がっていくことになりました。
厳島の戦い(1555年)
1551年、主君の大内義隆(おおうち よしたか)が家臣の陶晴賢(すえはるかた)に殺されると、
元就は混乱に乗じて独立をはかります。
1555年10月1日、元就は荒天に乗じた奇襲で、
2万余の陶軍を、3000余の兵で破ったとされます。
晴賢は自刃し、元就は中国地方で大きな地位を固めました。
尼子氏との決着(1566年)
尼子氏は、当主の晴久の急死などで弱体化し、1566年に元就に降伏しました。
月山富田城の攻めでは、兵糧攻めのあとに、
降伏を呼びかける高札を立て、炊き出しを行って、兵士の投降を促したとされます。
力で押すだけでなく、相手の心を動かそうとした話として、よく紹介されます。
三本の矢
3人の息子に矢を折らせ、団結の大切さを説いたという有名な話です。
ただし、本当に矢を使ったかどうかは不明です。
確かなのは、息子たちに宛てた手紙「三子教訓状」で、
一族の団結を呼びかけていたことです。
逸話は、元就の言動をもとに生まれたと考えられています。
元就は、家臣や領民から強く信頼され、一族の結束を重んじた人物だったとされます。
育ての親である後妻の杉大方への感謝を、息子宛ての手紙に記したという話も伝わります。
三人の名将に共通していたものは?
信玄は法律と家臣団を整え、
謙信は周辺の武士を支援して勢力を広げ、
元就は婚姻や養子縁組で関係を築きました。
方法は違っても、三人に共通するのは、
勝った後にどう勢力を維持するかを考えていたことです。
戦国時代は戦い続ければ生き残れる時代ではありません。
家臣をまとめ、領民を治め、同盟を保ち、
次の世代へ家を引き継ぐ必要がありました。
三人の話を知ると、戦国時代が合戦だけでなく、
人を動かし組織をつくる知恵が試された時代だったことが見えてきます。
日本の戦国時代は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。(Wikipediaより)