こんにちは、倉敷市北畝の歩実塾です。
平安時代は約400年も続きました。
その初め、中ごろ、終わりから1人ずつ選んで、エピソードを紹介します。
それぞれ、確かめられる話と、伝説として語られる話を分けて見てみましょう。
桓武天皇(かんむてんのう)の面白いエピソード:平安京をつくった天皇の波乱万丈な人生
794年、京都に都を移した桓武天皇。
「鳴くよウグイス平安京」という語呂合わせで覚えている人も多いでしょう。
しかし、桓武天皇の人生は、ただ都を移しただけではありません。
新しい政治を目指して大きな改革を進める一方、
身近な人々の死や政治的な対立にも苦しみました。
天皇になるとは思われていなかった?
父は光仁天皇。
母は高野新笠(たかの の にいがさ)という女性です。
桓武天皇は、光仁天皇即位以前は「山部王」と呼ばれていました。
母が渡来系出身だったため、最初は皇位継承の最有力候補ではありませんでした。
しかし父の即位で状況が一変し、天皇の位に就きます。
せっかく造った都を、わずか10年で捨てた!
即位後は仏教勢力と距離を置くため長岡京へ遷都したものの、中心人物の暗殺事件が発生。
無実を訴えて亡くなった弟・早良親王の「怨霊」を恐れた天皇は、
巨額を投じた長岡京をわずか10年で捨て、平安京へと再遷都しました。
平安京づくりと東北遠征、ついに中止を決断!
さらに坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)を征夷大将軍に任命して東北遠征を進めますが、
平安京づくりとの二大事業により国の財政と民の負担は限界に達します。
そこで行われた議論(徳政相論:とくせいそうろん)で反対意見が出ると、
天皇は自ら推進してきた二大事業の中止・縮小をあっさりと断行しました。
桓武天皇が目指したのは、新しい国のかたちだった
新時代を目指して突き進む強い意志を持ちながら、
怨霊に怯えて都を捨てたり、
現実を見て柔軟に方針転換したりする人間味あふれる決断力こそが、
千年続く京都の礎を築いた桓武天皇の興味深い姿です。
平清盛:海に港をつくった政治家
平清盛(たいらの きよもり)は、平氏の政権を築いた人物です。
清盛が力を入れたのが、日宋貿易(宋との貿易)でした。
現在の神戸にあった大輪田泊を重視し、1173年に私財を投じて改修したとされます。
人柱の代わりに、お経を書いた石を沈めた?
波を防ぐ人工島「経ヶ島(きょうがしま)」を築くとき、
『平家物語』では、清盛が人柱を罪深いと考え、
お経を書いた石を海に沈めたので「経の島」と名づけられた、と伝えます。
ただし、人柱の話は後の時代に脚色された面もあり、
江戸時代の書物にはさらに別の伝承(身代わりの少年の話)が見えます。
事実なのか物語なのかは、はっきりしません。
1180年の福原遷都と、墓の謎
清盛は1180年に福原へ都を移そうとしました。
港を国家的な事業として整備する計画も立てますが、
源平の争乱で、ほとんど実現しなかったようです。
墓についても、『平家物語』は経ヶ島、
『吾妻鏡』は播磨国の法華堂と、記述が分かれています。
源義経(みなもと の よしつね):「ほぼ創作」とも言われる、悲劇の英雄
牛若丸の幼名で知られ、幼いころに鞍馬寺に預けられ、
のちに平泉の藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)の庇護を受けたとされます。
1180年に兄・頼朝が挙兵すると、合流を目指して平泉を出ました。
一ノ谷から壇ノ浦へ
1184年の一ノ谷の戦いでは、
崖の上から平家の背後を突いたとされますが、
鵯越を通ったのは別の武将だという説もあります。
屋島では暴風雨の中、わずかな手勢で船を出して背後を突き、
1185年の壇ノ浦で平家を滅ぼしました。
「八艘飛び」の逸話も、この戦いで語られる伝承です。
兄との対立と最期
その後、頼朝は義経を鎌倉に入れず、追討を命じました。
義経は平泉へ逃れますが(1187年)、
秀衡の死後、子の泰衡に裏切られ、31歳で亡くなったとされます(1189年)。
「天狗から武術を学んだ」
「大陸へ渡ってチンギス・ハーンになった」
といった説もありますが、伝説の域を出ません。
生涯の逸話の多くは、後世の創作を含むと考えられています。
歩実塾から:歴史は、知れば知るほどつながっていく
桓武天皇は京都に都を移し、
平清盛は海外貿易に力を注ぎ、
源義経は戦いの英雄として伝説を残しました。
教科書では短い説明で終わる人物でも、
その背景を調べると、文化や経済、政治、人間関係など、
さまざまなテーマにつながっていきます。
歴史を学ぶときは、人物名や年号を覚えるだけでなく、
「なぜその行動をしたのか」
「どのような時代だったのか」
「その話は史料で確認できるのか」と考えてみましょう。
一つの疑問から別の疑問が生まれ、知識がつながっていく。
その積み重ねが、歴史を暗記するだけではない、深い学びにつながるのです。
平安時代(794年 – 1185年)は、日本の歴史の時代区分の一つである。(中略)広義では延暦3年(784年)の長岡京遷都からの約400年間を指す。(Wikipediaより)