こんにちは、倉敷市北畝の歩実塾です。
奈良時代の歴史には、現代の政治ドラマにも負けないような展開があります。
法律を整え、天皇家との結びつきを強めた藤原不比等。
巨大な邸宅を構え、政治の中心にいた長屋王。
そして、僧侶でありながら天皇に次ぐほどの地位に上り詰めた道鏡。
この3人の人生を追うと、奈良時代が単に仏教や文化が栄えた時代ではなく、
誰が政治を動かすのかをめぐる激しい競争の時代でもあったことが分かります。
藤原不比等(ふじわらの ふひと):制度と婚姻で、一族の土台をつくる
645年の乙巳の変で中大兄皇子と協力した中臣鎌足の子です。
大宝律令の制定に関わり、710年の平城京遷都でも重要な役割を果たしました。
養老律令の編纂も主導しましたが、720年に亡くなり、施行は見ていません。
自分の娘を天皇の妃にし、次の世代につなげた
娘の宮子は文武天皇(もんむてんのう)の夫人となり、その子が後の聖武天皇(しょうむてんのう)です。
もう一人の娘・光明子(こうみょうし)は、その聖武天皇の皇后になりました。
次の世代でも皇室との関係を深め、
藤原氏は有力貴族であると同時に、天皇の親族という立場も得ていきます。
当時の結婚を、現代の家族観だけで理解することはできません。
死後も続いた勢力
武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂(まろ)の4人の息子は、
のちの藤原南家・北家・式家・京家につながります。
不比等は、制度づくりと家族の結びつきで、長く政治に関われる土台を築きました。
平安時代の摂関政治の、遠い出発点の一つです。
長屋王(ながやおう/ ながやのおおきみ):皇族の高い地位と、突然の最期
天武天皇の孫で、父は高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)、
母は天智天皇の娘・御名部皇女(みなべのひめみこ)です。
不比等の死後、政界の中心になりますが、
729年、謀反の疑いをかけられて自ら命を絶ちました(長屋王の変)。
甲子園球場約1.5個分の邸宅
奈良市にあった邸宅跡は、発掘調査で約7万平方メートルと確認され、
奈良市の解説では甲子園球場の約1.5個分に相当するとされています。
内部には、住居のほか、家政を担う部署や使用人の居住区もありました。
邸宅は、財産を管理し、政治や儀礼を支える拠点でもありました。
ゴミ捨て場から、奈良時代の生活が見えてきた
跡地からは、約4万点の木簡(文字を書いた木の札)が出土しました。
食料の受け渡しや邸宅の仕事の記録が残り、
犬や馬、鶴が飼われていたことや、食生活まで読み取れるものもあります。
本当に謀反を企てたのか
これは慎重に考える必要があります。
詳しい事情を、私たちが完全に確かめることはできません。
背景には、皇族と藤原氏の政治的な緊張関係があったと考えられています。
歴史書に「謀反」とあっても、本人が計画したと断定はできません。
記録の説明と、背景の事情を分けて考えることが大切です。
道鏡(どうきょう):一介の僧侶から「法王」へ
孝謙天皇(こうけんてんのう)として即位したのち、再び皇位に就いた称徳天皇(しょうとくてんのう)の信任を得て、
「法王」という高い地位に上った僧侶です。
血筋だけでなく、天皇との信頼関係や宗教的な権威も、
政治を動かす要素だったことがわかります。
ただし、単純に「悪い僧侶」と決めつけるのは適切ではありません。
批判的に描く伝統がある一方、
どんな政治を目指し、本人の意思がどこまで反映されたかは、慎重な検討が必要です。
769年・宇佐八幡宮神託事件
「道鏡を天皇にすれば国が平和になる」という趣旨の神託があったと伝えられました。
しかし、宇佐八幡宮へ派遣された和気清麻呂は、
皇位は皇族が継ぐべきだという趣旨の、別の神託を報告したとされます。
「誰が天皇になれるのか」という国家の根本に関わる対立でした。
神託の具体的なやり取りは後世の記録によるため、
細部や道鏡本人の望みは、伝承をそのまま事実と断定できません。
称徳天皇が亡くなると、道鏡の立場は一変した
770年に称徳天皇が亡くなると、
道鏡は下野国(現在の栃木県)の薬師寺へ左遷され、772年に亡くなったとされます。
地位が特定の人物との関係に大きく頼っていると、
後ろ盾を失ったとき、立場は急変します。
歩実塾から:歴史は、勝者の記録だけでは見えてこない
この3人の物語から分かるのは、
歴史を「成功した人」「失敗した人」「善人」「悪人」という単純な分類だけで理解することの難しさです。
歴史上の人物を考えるときは、次の3つを意識してみましょう。
①その人物は、どのような立場や背景を持っていたのか。
②誰と協力し、誰と対立していたのか。
③その出来事は、どの史料に記され、どこまで確かなことなのか。
人物名と年号を覚えるだけでなく、
背景や人間関係、史料の確かさまで考えると、
歴史は単なる暗記科目ではなくなります。
過去の人々が何を考え、
どのような事情の中で行動したのかを想像し、根拠を確かめながら理解する。
それもまた、学ぶことの面白さなのです。
奈良時代は、日本の歴史の時代区分の一つで、第43代元明天皇により平城京(奈良・現奈良県奈良市)に都が置かれた時代(710年 – 794年)。(Wikipediaより)