誕生日が過ぎた。
また一つ、歳を重ねた。
子どもの頃は、あんなに楽しみだったのに。 なぜだろう。 大人になると、誕生日がうれしくない。
「先生、誕生日いつですか?」
塾の子どもたちに聞かれることがある。
答えると、 「わあ、もうすぐじゃないですか!」 と目をキラキラさせる。
その顔を見ながら、ふと思う。
——ああ、そうか。 誕生日というのは、 もともと、こういうものだったんだ。
子どもにとって誕生日は、 「自分の番」がやってくる日だ。
ケーキがある。 プレゼントがある。 みんなが自分を見てくれる。
年齢が上がることが、 シンプルに「すごいこと」だった。
6歳から7歳へ。 小学生になる。
10歳から11歳へ。 二桁の年齢になる。
そのひとつひとつに、意味があった。
大人はどうだろう。
年齢が増えることは、 「うれしいこと」より「気になること」になっていく。
体の変化。 時間の速さ。 やり残したこと。
気づけば誕生日を、 自分から誰にも言わなくなっている。
でも最近、思うことがある。
25年間、子どもたちのそばにいて、 サッカーを教え、勉強を見てきた。
その子たちが 毎年毎年、誕生日を迎えるたびに 少しずつ大きくなっていくのを見てきた。
それは、 どんなに地味に見えても、 確かな「歩み」だった。
自分の誕生日も、同じはずだ。
うれしくないのではなく、 「うれしい」と感じる余裕が、 忙しさの中に埋もれてしまっているだけかもしれない。
誕生日は、 お祝いする日であると同時に、
「ここまで歩いてきたね」 と、自分に声をかける日でもあると思う。
子どもたちが毎年、 あんなに誕生日を楽しみにしているのは、
歳をとることを、 まだ「成長」として感じているからだ。
大人になった私たちも、 本当は成長している。
形が変わっただけで。
また一つ、歳を重ねた。
それでいい。 それが、生きているということだから。