こんにちは、倉敷市北畝の歩実塾です。
和歌は、ただ丸暗記するにはもったいない、
言葉遊びとドラマが詰まった文学です。
今回は、教科書でもおなじみの5首を、
詠んだ人のエピソードとあわせて紹介します。
①在原業平朝臣「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
「神々の時代でさえ聞いたことがない。
竜田川が、真っ赤な紅葉で水をくくり染めにしているとは」という意味です。
ポイントは「からくれなゐに水くくるとは」という表現。
まるで川の水を、
紅葉の色で「くくり染め」にしたようだという発想がユニークです。
作者の在原業平は、平安時代を代表する美男子・歌人として知られ、
『伊勢物語』の主人公のモデルとも言われています。
紅葉が一面に散った竜田川の光景を、
大げさなくらいのスケールで詠み上げた、勢いのある一首です。
②儀同三司母「忘れじの 行末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな」
「あなたが『忘れない』と言ってくれたその約束が、
将来までずっと続くとは限らないから、
いっそ今日を最後に、この命が終わってしまえばいいのに」という、
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)のかなり切実な恋の歌です。
幸せの絶頂にいるはずなのに、
「この幸せがいつか壊れてしまうくらいなら、いっそ今死んでしまいたい」と詠む。
一見矛盾しているようですが、
「幸せすぎて怖い」という感情は、
現代でも共感できる人がいるのではないでしょうか。
③小野小町「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
「花の色はすっかり色あせてしまった。
むなしく、私が物思いにふけっている間に」という意味です。
この歌の面白さは「掛詞(かけことば)」という技法にあります。
「ふる」は「(雨が)降る」と「(歳月が)経る」の二重の意味、
「ながめ」は「眺め」と「長雨」の二重の意味を持っています。
表向きは桜の花が色あせていく様子を詠みながら、
裏では、絶世の美女といわれた小野小町自身の若さや美しさが、
長い物思いのうちに衰えていく様子を重ねているのです。
一つの言葉に二つの意味を込める、
和歌ならではの高度なテクニックが光る一首です。
④平兼盛「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで」
「人に知られないよう、こっそり隠していたつもりだったのに、
私の恋心はとうとう顔色に出てしまったらしい。
『何か悩みごとでもあるの?』と、人に聞かれてしまうくらいに」という歌です。
この歌には有名なエピソードがあります。
当時、壬生忠見という歌人と歌の優劣を競う
「歌合(うたあわせ)」が開かれ、
忠見も「恋をしている」という似たテーマの歌を詠みました。
判定は僅差でしたが、最終的にこの歌に軍配が上がったと伝えられています。
恋心を隠しきれず、顔に出てしまう。
そんな誰もが経験しうる気まずさを、繊細に描いた一首です。
⑤崇徳院「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
簡単に現代語にすると、
「川の流れが岩にぶつかって二つに分かれても、
最後にはまた一つになるように、
私たちも今は離れているけれど、いつかきっとまた会いたい」という意味です。
ここで登場するのが、「瀬をはやみ」という言葉。
川の流れが速いため、岩にぶつかって二つに分かれてしまいます。
しかし、その水はずっと別々のままではありません。
川の下流で、再び一つになります。
これを恋愛に重ねています。
つまり、
「今は離れている。でも、いつか必ずまた会いたい」
ということ。
現代なら、
「転校して離ればなれになった」
「遠距離になった」
「親に反対されて会えなくなった」
そんな状況にも重ねられます。
1000年近く前の人も、
「離れていても、また会いたい」
と思っていたのです。
この歌のポイント
川の流れ=二人の運命
と考えると分かりやすい。
そして最後の、「あはむとぞ思ふ」には、
「きっと会う」という強い気持ちがあります。
ただの「会えたらいいな」ではありません。
「いつか必ず会いたい」という、かなり強い恋心です。
歩実塾から:和歌は「言葉のパズル」
5首を通して見えてくるのは、和歌が単なる感情の吐露ではなく、
掛詞や縁語といった言葉のテクニックを駆使した、
緻密な「言葉のパズル」でもあるということです。
意味だけでなく、「なぜこの言葉が選ばれたのか」まで考えてみると、
暗記のための古文が、少し違って見えてくるはずです。