第3弾(最終章):子どもたちへ
「いただきます」と「ごちそうさまでした」――この言葉を、君たちへ――
3回にわたって書いてきた。
「いただきます」は、命をいただく言葉。 「ごちそうさまでした」は、走り回ってくれた人への感謝の言葉。
最終回は、 子どもたちへ向けて書きたい。
正直に言う。
僕も最近、 言えていない日が多かった。
一人でご飯を食べることが増えた。 スマホを見ながら食べることが増えた。 気づいたら食べ終わっていた、という日が続いた。
それでも、 この2つの言葉について考えたとき、
「あ、これは大事にしなきゃいけないな」
と、素直に思った。
大人でも、気づいたら変われる。 遅いということはない。
塾で子どもたちを見ていると、 学力と同じくらい、 人への感謝の気持ちを持てるかどうかが、 その子の将来に大きく関わると感じている。
勉強は、教えられる。 知識は、伝えられる。
でも、 感謝する心は、日常の小さな積み重ねでしか育たない。
その積み重ねの一つが、 食事の挨拶だと思う。
世界を見渡せば、 神に祈る人もいる。 無言で食べる文化もある。 食べ終わったら自然に立つ文化もある。
それぞれに、歴史と理由がある。 どれが正しいとは言えない。
でも、 「いただきます」「ごちそうさまでした」という日本の文化は、世界に誇れるものだと、僕は思っている。
命への敬意。 人への感謝。 自然への畏敬。
たった2つの言葉が、 その全部を含んでいる。
サッカーの指導でも、同じことを感じる。
試合が終わったら、 相手チームに挨拶する。 審判に感謝する。 グラウンドに礼をする。
それは形式じゃない。
「ありがとうございました」と言えたとき、初めてその試合が完結する。
食事も同じだ。
「いただきます」で始まり、 「ごちそうさまでした」で終わる。
その丁寧な始まりと終わりが、 食事という時間を、 ちゃんとした一つの体験にする。
歩実塾に来てくれている子どもたち。
勉強を教えるのが僕の仕事だ。 でも、それだけじゃないと思っている。
ご飯の前に手を合わせられる人間になってほしい。 食べ終わったら「ごちそうさまでした」と言える人間になってほしい。
一人でご飯を食べるときも。 コンビニのおにぎりを食べるときも。
形から入っていい。 意味がわからなくても、まずやってみていい。
続けていくうちに、 言葉の重さが、ちゃんと体に染み込んでいく。
最後に。
今日の食事の前に、 一度だけ、手を合わせてみてほしい。
「いただきます」
そして食べ終わったら、
「ごちそうさまでした」
それだけでいい。
それだけで、 食事の意味が変わる。 自分の心が、少し変わる。
命をいただいて、今日も生きている。
走り回ってくれた人たちのおかげで、今日も食べられた。
それを、忘れないでいたい。