焚書が教えてくれる「学びの自由」
―“本を燃やす”という行為の裏側にあるもの―
◆ はじめに
歴史を振り返ると、権力者たちが「焚書(ふんしょ)」というかたちで
本を焼き、人々の学びを封じ込めようとした時代がありました。
紙は燃えても、そこに込められた“問い”は消せない…。
今日は、塾長として日々子どもたちと向き合う中で感じた
“学びの自由”について、焚書を題材にお話しします。
◆ 焚書とは何か
焚書とは、思想や知識を制限するために本を焼き捨てる行為。
古代中国の「焚書坑儒」、ナチス・ドイツの焚書など、
時代を象徴する出来事として記録に残っています。
でも、どんな時代にも共通しているのは、
「本を恐れていた」という事実。
本には、人を動かし、社会を変えるだけの“力”がある。
だからこそ、権力者は消そうとしたのです。
◆ 形を変えて残る“現代の焚書”
今の時代、本を燃やす光景はありません。
しかし、別の形での“焚書”は存在しています。
- 過剰な情報操作
- SNSの空気による同調圧力
- 学校や社会で「考えたら損」と思わせる風潮
燃えないだけで、
「考えさせない」「疑問を持たせない」仕組みは確かにあります。
だからこそ、
考える力を育てることは、今の時代を生きるための“防具”であり“武器”
なのだと思います。
◆ 子どもたちに伝えたい「自分で考える力」
塾に来る子どもたちを見ていると、
“覚えること”にばかり気を取られてしまう子もいます。
でも、本来の学びとは、
・誰かに流されないための力
・自分の人生を選ぶための力
その両方を育てるものです。
点数だけでは測れない、“心の明かり”。
それを守り、育てることが、塾の役目だと感じています。
◆ 最後に
焚書は、紙を燃やしても「学び」を消すことはできませんでした。
同じように、
子どもたちの中にある好奇心や探求心も、
正しく育てれば消えることはありません。
学びの火は、誰にも奪えない。
その火を灯し続ける場所でありたい。
そう願いながら、今日も教室で子どもたちと向き合っています。