ケーキが切れない子どもたちへ
丸いケーキが、机の上に置かれる。
「三人で分けてね」
大人にとっては、何気ない一言。
でも、ナイフを持ったその子は、
しばらく動けずに立ち尽くしている。
切り方が分からない。
どこから切ればいいのか、想像できない。
頭の中で“先”を描けない。
それは、怠けているからでも、
ふざけているからでもない。
ただ、
「見えにくい」だけなのかもしれない。
学校では、
答えが合っているか、間違っているかが問われる。
早いか、遅いか。
できるか、できないか。
でも、
その前の段階で立ち止まっている子がいる。
・全体を捉えること
・順序を考えること
・次を想像すること
それらがうまく結びつかないまま、
叱られ、比べられ、
「反省しなさい」と言われてしまう。
反省する前に、
そもそも何が起きているのかを
一緒に見てほしいのに。
問題行動の奥には、
言葉にならない困りごとがある。
騒ぐ子も、
黙り込む子も、
逃げる子も、
本当は同じところでつまずいているのかもしれない。
「分からない」と言えないまま、
今日もナイフを持って立ち尽くしている。
ケーキを切る、という行為は
生きる力そのものだと思う。
全体を見ること。
人の分を考えること。
失敗しても、やり直すこと。
それを、
「できない」で終わらせない社会でありたい。
私たち大人ができることは、
正しく切る方法を教える前に、
一緒にケーキを眺めること。
「どんな形に見える?」
「どこから切ると良さそうかな?」
答えを急がず、
寄り添って考える時間を持つこと。
ケーキが切れない子どもたちは、
何も欠けているわけじゃない。
ただ、
少し違う見え方で、
世界を見ているだけ。
そのことに気づけたとき、
教育は、静かに前へ進み始める。